朝市の空2
茜木温子
「おはよぉ〜」
お味噌汁のいい匂いが香る茜木家の台所に温子の元気な声が響く。
「おはよ……くはぁ〜」
その元気とは裏腹に寝ぼけ眼で温子を見るのは、今年から新しく我が家の家族になった人。
「もぉ、だらしない顔になっているよぉ……結婚する前はそんなじゃなかったのにぃ、早く顔を洗ってきて!」
せかすように温子は背中を押して洗面所に誘う。
そう、今あたしが背中を押している人はあたしの旦那様。知り合ってから三年目の夏は『夫婦』という形で迎える事ができた。
「温子、旦那は起きたのかい?」
台所から母親である早苗の声が聞こえてくる。
「うん、今顔洗っているよ」
そう、最初はアパートを借りようかとも思ったけれど、勿体無いのでお母さんと同居という形をとっている。彼もそれには賛成してくれ、今では仲良く三人住まい。法的に夫婦になったのは今年の二月で、まだ雪の残っているときだった……。
「温子、今日はどうするんだい?」
早苗は温子の顔を見ながらお椀に注いだ味噌汁をテーブルに置く。
「どおするって?」
ハグハグとご飯を口に含みながら温子は首を傾ける。
「おまえねぇ……そんな姿を旦那に見せるんじゃないよ? お前みたいなはね返りが嫁に行っただけでも奇跡に近いんだから……」
ちょっとぉ……えらい言われようなんですけれど……否定は出来ないけれど……。
温子は、モグモグと口を動かしながら早苗の顔を睨む。
「……どうかした?」
さっきまでの寝ぼけ眼とは打って変わってさわやかな表情を浮かべる旦那。
エヘへ、やっぱりその顔だよ……。
「アハハ、なんでもないよ? ほらぁ、早く食べて……」
温子は曖昧な笑顔を浮かべながら彼の座る場所を確保し、用意されていたおかずをその前に置く。
「今日は休みだから、たまには二人でどこかに行ったらどうだい? 最近ずっとお店と家との往復だけだろ? 息抜きしてきな」
早苗はそう言いながらお味噌汁の入ったお椀を彼に提供する。
「そうですね? どうだい?」
旦那はそう言いながら温子の顔を覗き込む。
「ウン、やっと片付いてきたことだし、ちょっと行ってみたい所もあったんだ」
温子の顔に笑顔が膨らむ。
「よし、じゃあ行ってみようか!」
旦那はお茶を一飲みして腰を上げる。
『次は、青柳町、青柳町です』
函館市電に揺られ、温子が降車ボタンを押したのは終点のひとつ前の青柳町だった。
「何があるの?」
彼は温子について歩くように電車を降りる。
「ヘヘ、最近来ていなかったから」
ニコニコしながら温子は彼の腕を取る。
以前、友達と一緒に買い物をしたときに買った淡いピンクのキャミソールにちょっと短めのスカートはタンスの肥やしになっていたけれど、やっと日の目を見ることが出来た。
「そうかもしれないね?」
その格好に旦那も視線を泳がせる。
ちょっと照れたような表情を浮かべちゃって、あたしも意識しちゃうじゃない。
「あなたと一緒に来てみたかったんだ、最近ずっとお店だったし、こうやってゆっくりすることも出来なかったから、どこでもいいから、ちょっとゆっくりとあなたと歩ければよかったのかも……エヘへ」
ちょっと頬を赤らめながら温子は顔を見上げると、その視線の先の彼もちょっと頬を赤らめている。
久しぶりのデート、楽しまなくっちゃよね?
歩く二人の視線の先には大きな公園が見えてくる。
「ここは『函館公園』だったよね?」
その入り口を見た旦那は懐かしそうな声を温子に向ける。
「ヘェ、知っているの?」
素直に温子は首をかしげる。
あなたがここを知っているなんて思わなかったなぁ、以外とここは観光の穴場なんだけれど、ここを押さえているなんて、旅慣れているあなたらしいわね? 関心関心。
「一昨年の夏に、はじめて函館に来たときにここに寄ったことがあるよ、確か噴水があって涼しいと言う印象が強かったなぁ」
彼は懐かしそうな顔をして温子の事を見る。
「ここに来たことがあるんだぁ、いい趣味しているね? だったらこの公園の目玉に行ったことがある?」
噴水が涼しげな風景を造っているその横を二人は寄り添いながら通り抜けてゆく。噴水の水しぶきの音がさらにそれを演出している。
「目玉?」
彼はキョトンとした顔をする。
エヘ、やっぱりそこまでは行かなかったみたいね? まあ当然と言えばそうかも……。
「この公園は何かというと『北海道初』尽くしというのは知っているでしょ? 初めての西洋公園だとか、市民と行政が協力して作ったとか、でも、あたしが好きなのはここ!」
噴水を抜けると、なんともレトロチックと言うより、古臭い遊園地がひっそりと立っている。
「もしかしたら函館で唯一の遊園地かもしれないよ、この『こどものくに』は、昔よくお父さんと一緒に来たんだ」
それは坂の途中にひっそりと言った感じで立っており、まるでどこかの幼稚園の遊技場のような感じだ。
「これは……どうも」
苦笑いを浮かべる彼とは裏腹に温子は小走りにその遊園地の中に入って行く。
「おいおい、温子?」
旦那の声が聞こえるけれど、小さかった頃に遊んだ遊具がまだ残っているのを見つけただけで何かがこみ上げてくる。お父さんと一緒に乗った豆汽車やいろいろな遊具はあの当時と変わっていないみたい。
小さな男の子や女の子が仲良くそれに乗り、その様子を親が優しい顔で見守る。いずれは自分達もこうやって見守る立場に変わるかもしれない……今は実感が無いけれどね?
「わぁ、これ……小さいとき好きでよく乗っていたやつ……まだ現役なんだ」
一つの古ぼけた遊具を温子は見下ろす。
こんなに小さかったっけ? これじゃああたしが乗ることはできない、でも、小さい頃乗っていたあたしの記憶がその遊具とダブる……そのあたしを見守ってくれていたのは……。
「……温子」
得も言えない顔をしている温子のことを彼は優しい顔で見つめる、不意にその笑顔が温子のお父さんとダブったような気がする。
「エヘへ、メンテナンスがいいからいまだに現役なんだね? ほら、こっちには観覧車があるんだ……って、こんなに小さかったかなぁ」
観覧車と呼ぶにはそれは小さいようで、行列が出来ているわけでもなく、地元の家族連れであろう、小さな子供とそのお母さんがそれに乗っている。
「ハハハ、当時温子が小さかったから大きく見えたんじゃないかな? でも、いい雰囲気だね、家族連れで楽しめる場所と言うのはそうそうあるものじゃないし、こうやってきちんとメンテナンスされていると言うことは、ここを管理している人たちの、この公園への思い入れが伺えるよ」
旦那もそれを見上げると、観覧車に乗っている子供が「海が見える」と喜んでいた。
「俺たちもいつかは……」
旦那は頬を赤らめながらボソッと呟き、それに温子はうなずき彼の腕をそっと取る。
あなたも同じ事を考えていたのね?
「かわいぃ〜」
次に向かったのは、同じ公園内にある小さな動物園だった。
「これは……『屋久シカ』だって」
彼は説明を見ながら鼻を鳴らす。
「屋久シカ?」
温子は首をかげながら彼の顔を見つめる。
「ウン、九州に『屋久島』ってあるでしょ? そこで主に食用として飼育されているらしいよ?」
案内板を見ながら彼は説明する。
「食用って、食べちゃうの? こんなに可愛いのに? ひっどぉ〜い」
温子は頬を思いっきり膨らませながら抗議の目を彼に向ける。
「いや、俺にいわれても困るよ……それによく料理でしか肉って出るじゃないか」
アレは美味しい、友達の結婚式ではじめて食べたけれど、シカ感が変わったのは事実。でも、この子達は可愛い……人間って残酷かも。
「そうだけれど……ぶぅ」
抗議の持って行き場を失った温子はしかめっ面で再びそのおりに視線を移す、すると近くにいたシカ二頭が温子たちの前で仲良く寄り添う。
「わぁ、ほらみて、この二匹カップルなのかなぁ……顔を引っ付けちゃって、可愛いなぁ」
顔をぺたりとくっつけるそのシカは本当に恋人同士のように見える。
「こっちには『クジャク』がいるよ、綺麗……」
大きく扇状に羽を広げるクジャクのその姿はまさに美麗と言っても過言でないであろう、オスはそれをメスに見せ付けるのは相手の気を引くためらしいけれど、人間とは逆なのかしら? 人間はメスが綺麗に着飾ってオスを……って、何考えているんだろうあたし。
温子は一人で頬を染める、その様子を旦那は不思議そうな顔をしてみていた。
「こ、この公園には他にも熊がいたり、昔はライオンもいたような気がしたけれど……」
話題を変えるように温子は苦笑いを浮かべながら周囲を見渡す、そこは緑に囲まれ、函館山も見える。
「でもいい所だよ、風は心地言いし、何よりも静かだ」
彼も気持ちの良さそうな顔をして周囲を見渡す。
「そうかも……ゆっくりしましょ?」
二人は近くにあったベンチに腰をかける。
「はぁ、満足、前からここで買い物をしようと思っていたのよ」
赤レンガ倉庫で買い物を済ませた温子は非常に満足げな表情を浮かべる。
「近いからいつでもこられると思っていたけれど、なかなか時間が取れなかったからね?」
隣の彼も満足げな表情。
「近いからこられない、よくあることよね? あたしも結構行っていないところあるなぁ、一番は『摩周丸』の所にできた『クイーンズポートはこだて』、クラッシックカーが置いてあったりするらしいわね? フードテラスなんかもあるみたいだし」
彼が来てから出来た施設。車好きな彼は行きたいといっていたが、なかなか時間が取れず、いまだにその夢はかなっていない。
「そうだね? お店のすぐ近くなのにいけないんだよなぁ」
彼はそう言いながらちょっと寂しそうな表情を浮かべる。
「ウフフ、それは今度のお休みのお楽しみにとっておきましょうよ」
温子はそう言いながらその彼の肩をぽんぽんと叩き、励ますようにいう。
「そうだね? もう辺りも暗くなってきたことだし……」
夏の日暮れは遅く、六時を過ぎているというのにまだ街灯がポツリポツリとつきはじめた程度で、まだ暗くなるというには早いような気もする。
「そう? でも後もう一軒行きたいところがあるの」
温子はそう言いながら彼の腕を取る。
「まだあるの? 遅くならないかな」
心配げな顔と、うんざりした顔の二つをうまく使い分けられないような表情を浮かべる彼に温子は苦笑いを浮かべる。
「いいからいいから、そろそろ行きましょうか」
温子は彼の腕を引きながらすたすたと再び西波止場に向かって歩き出す。
「ここよ、う〜ん久しぶりぃ」
温子が足を止めたのは、元町地区から少し離れ、観光客はあまり来ないような場所。
確かここも歴史的建造物とかになっていたと思うな?
見上げるその雰囲気は函館を象徴するような蔵を改造したお店に、ネオン管の看板がかかっており、アーリーアメリカンな雰囲気。
「ここは?」
旦那も同じように顔を上げる。
「ここはね『ジャズバーDiamondDust』といって、あたしが昔よく来ていたお店なの……といってもお酒を飲んでいたわけじゃないわよ? ここでゆっくりと音楽を聴いているのが好きだったの」
なれた様に温子はそのお店の扉を開くと、そこはアメリカのバーを髣髴とさせる雰囲気の店内で、そこはタバコの煙が蔓延し、静かな感じにジャズナンバーが流れている。
「いらっしゃい」
初老のバーテンが二人を見つめ、目でカウンター席を案内する。
「これから始まるみたいね?」
席に着き、マイクや、ドラムセットなどが置かれているステージを見つめる温子。
「ご注文は?」
バーテンは二人の席にオーダーを聞きに来る。
「あなたは何にする? あたしはフローズン・ダイキリ、夏場はこれが一番」
戸惑ったような表情を浮かべる彼に、温子はわくわくしたような表情を浮かべながらメニューを見せる。
「俺は……水割りにしようかな?」
彼は戸惑いながらメニューにあるものをオーダーして、温子の向いているステージに顔を向ける。
「温子はジャズが好きだからね?」
カウンターに頬杖を付く彼のその姿に温子はちょっとドキッとする。
「う、ウン、なんていうのかな……落ち着くと言うのか、うるさいだけの音楽じゃないと言うのかな? なんとなく、それを演奏している人の気持ちが伝わってくるみたいで大好き」
温子はお酒を飲む前から顔を赤らめる。
「はじまった……ウ〜ン、この雰囲気大好き!」
温子はカウンター席から身を乗り出すようにステージを見る、そこには、トランペットを持ちまさに今から演奏を始めようとする姿が見られる。
「これは、コルトレーンかな?」
彼はそう言いながら聞き覚えのあるその曲を言い当てる。
「そう、よく知っているわね? これは『セイ・イット』ジョン・コルトレーンのスタンダードナンバーよね?」
彼にそんな趣味があったとは知らず、素直に驚きの表情を浮かべる温子。
「ウ〜ン、曲名までは良く知らないけれど、コルトレーンとか、アートペッパーというのは有名なジャズシンガーと言うことまでしか……」
彼はそう言いながら頭をかく。
「……今度、アートペッパーのアナログ版を聴かせてあげるよ」
温子はそう言いながら旦那の肩に頭を持たれかける。
なんだかいいかも……彼と一緒にまさかジャズが聴けるだなんて思ってもいなかった。
「こうやって聴くジャズもなかなかいいね、俺も好きになりそうだよ」
旦那も足でリズムを取りながらその演奏を、目を瞑りながら聴き入っている。
「はぁ、満足……やっぱりバラードといったらコルトレーンだよね?」
イヤだ、お酒のせいなのか、やけに興奮しているみたい。
「ハハ……」
旦那は隣でグラスを傾けながらそんな温子のことを優しい目で見ている。
「お楽しみいただいたみたいで光栄です」
気が付くとカウンターの二人の前にはダンディーな感じのおじ様が、優しく微笑み二人を見つめている。
「アッ、さっき演奏されていた……」
温子はあわてたように席から立ち上がる。
「ハイ、中村と言います、演奏するときは『Ketsudaira』と言う名前で出させていただいております。今日の演奏はいかがでしたか?」
男性は人懐っこい笑顔を二人に向けながら話す。
「ハイ、とっても良かったです! 中村さんは、こっちの人じゃないですよね?」
温子はポッとした表情で中村を見つめ、その隣では彼がちょっと頬を膨らませている。
「そうですね、湘南にあるジャズバーで演奏しています、今日はたまたま知り合いの勧めでこのお店に出演させていただいたんですが、こんな可愛いお客さんがいるとは思っていませんでしたよ」
中村のその一言に温子の頬は真っ赤になる。
「可愛いだなんて……」
クネクネする温子の横では彼があからさまに面白くないと言った表情を浮かべながらグラスに入った水割りを一気にあおる。
「これは失礼、奥様を横取りしてはいけませんね? これは私からのお詫びとしてお二人にプレゼントです」
中村はそう言いながらバーテンからそれを受け取り、二人の前にそれを置く。
「ウォッカをベースにしたカクテル『DiamondDust』です、お口に合えば良いのですが……さて、私は次の演奏があるのでここで」
中村はそう言いながら二人の元から離れる。
「……『DiamondDust』……かぁ」
彼はそのカクテルを見て呟く。
「ウン……綺麗なカクテル、あの時と同じ……」
炭酸の気泡がまるであの時見た、光の粒のように見える。
寒かったあの時、でも寒さなんて感じなかった、あの時感じていたのはあなたの温もりと、あなたに対する想いだけ、そして、あなたはあたしを受け止めてくれた。
「不思議だよね?」
彼はそう呟きながら、温子の顔を見つめる、その表情は落ち着き、まるでお父さんに見つめられているようだった。
「不思議?」
温子はその表情にちょっとドキッとしながら旦那の顔を見つめる。
「そう、一昨年の夏は出会いの夏……去年の夏は再会の夏……今年の夏は……」
そこまで言い、旦那は温子の顔をじっと見つめる。
「……今年の夏は……初めての夏……あなたと夫婦になっての」
温子は目を瞑りそう言いながら旦那の肩に寄りかかる。そのバックには、静かなジャズナンバーが心地いいBGMのように流れる。
「すっかり暗くなったね?」
程よく酔った身体に、函館湾からの潮風が心地よい。
「ホント、早く帰らないと、さすがにお母さんが心配しちゃうね?」
温子はその潮風を全身で受けるように大きく伸びをする。
「ウン、その前に、ちょっと付き合ってもらいたいところがあるんだけれどいいかな?」
旦那はそう言いながら様々な装飾にライトが灯っている赤レンガ倉庫に足を向ける。
「かまわないけれど、どこに行くの?」
旦那はその質問ににっこりと微笑むだけで答えてくれない。
「ここだよ」
新しく出来た『クイーンズポート』の脇を通り抜け向かった先は、ロマンチックにライトアップされている『ふれあいイカ広場』だった。
「ここは……ちょっと照れるわね?」
そう、一昨年の夏、あたしはここで大泣きしてしまった……彼がいるということも忘れ……でも違う、彼がいたから大泣きしたんだと今では思っている。
「そう、あの時温子を見て俺は決心したんだ『この娘は俺が』ってね?」
彼もちょっと照れたように頬を染めている。
「アハ、て、照れるわね? でも……ありがとう」
コツンと彼の胸に頭を寄せる。
「……今日は何の日か覚えている?」
彼はそう言いながら温子の頭を撫ぜる。
「……? 今日?」
温子は首をかしげながら彼の顔を真下から見上げる。
「そう、今日」
彼の顔は一点に温子の顔を見つめる。
「エッと……ごめん、わからない」
申し訳なさそうな表情で温子が頭を下げると、彼は苦笑いを浮かべる。
「ハハ、謝ることはないけれど……今日は、八月二日、温子の誕生日だろ?」
エッ! そうだ、忘れていた、ここ最近誕生日なんて仕事ばかりで祝ってもらったことなんてなかったから……でも。
「……覚えていてくれたの?」
一瞬にして温子の目が潤む。
「一応、旦那としてはね?」
得意そうな笑顔を見せる彼……あなたと一緒にいられる、それだけで嬉しいのに。
「ウフフ、頼もしい旦那様ね?」
温子も満面の笑顔を彼に見せる。
「それで……遅くなったけれど、これプレゼント……誕生日プレゼントと一緒になっちゃって申し訳ないんだけれど」
申し訳なさそうな表情を浮かべる彼は小さな袋を温子の目の前に差し出す。
「一緒?」
温子はキョトンとした顔をしながらその袋を受け取る。
「ウン……もっと早く渡したかったけれど、学生だったし、卒業してすぐだったから」
言い訳のようにブツブツ言っている彼の横で温子はその小袋をあける。
「……! これ……指輪」
ピンクのケースの中に入っていたのは指輪だった。
「石付きのいわゆる『エンゲージリング』はちょっと無理だったけれど、それなら、いつでもつけていてもらえるかなって、もう結婚もしちゃったし、結婚指輪……」
温子は彼の話し途中でその胸に抱きつく。
「……贅沢言わないよ、指輪なんてどうでも良かった、あなたがずっと一緒にいてくれるだけであたしは幸せなんです、それにこんな指輪貰っちゃったら、幸せすぎちゃうよ」
目から涙が溢れて止まらない、あの時と同じ、でもあの時の涙と今日の涙は違う、今日の涙は嬉しくって止まらない……。
「温子……これからもよろしくね?」
彼はそう言いながら温子の頭に手を置く、心地のいい重みが温子の頭にかかる。
「……こちらこそよろしくお願いします」
パシャパシャと、二人の足元では波が揺らめき、対岸の光を優しくきらめかせる、そのきらめきの中で二人のシルエットが重なる。
ずっと二人で一緒だよ!